[速報] きょう、毎日新聞に載りました。
※↑ コレは、俳優の今井雅之サン直筆のサインです。
今井サン直々に書いていただいたサイン(!?)です。
ところで、本日(1/10)の毎日新聞に、私にせユーミン自作の句が載っています。
いつもの、「仲畑流万能川柳」にです。
もう売り切れかな〜。たぶんお昼過ぎまでなら、駅の売店で購入できます。
さてさて、今回の句は2006年第一弾ということで、初心に返るべくこんな句をこさえました。
――「無知だからがむしゃらなのか若者は さいたま にせユーミン」
そもそも、この句をこさえたのには、こんなエピソードがあります。
おととしの冬、にせユーミンは宣伝会議主催の「コピーライター養成講座」(専門コース)という所に通いました。
その講座には、現業にマンネリを感じるコピーライターや転職希望者など、仕事に何らかの悩みを抱えた人がたくさん集まっていました。ざっと見渡したところ、平均年齢28、9歳。
20代も後半。ある意味、仕事でいちばん悩む年ごろです。
この講座は、大手広告代理店Dのスーパークリエイティブディレクター・Y氏が講師を務めているとあって、Y氏の作品のファンである人がほとんど。
なので、毎回の講義ではY氏の話す言葉ひとつひとつに傾聴し、そしてノートに書き留める姿が見られました。みんな、真剣です。
そんなある日、Y氏はこんな話をしました。
――「(今のうちは)青臭い話を、どんどんした方がいい。」と。
私、にせユーミン。
すぐには、この一言の意味がイマイチのみ込めませんでした。
しかし、それはそこに集まっている人の '熱気' で、理解することができました。
そうです。
コピーライターの仕事、広告のオシゴトには、制約でいっぱいです。
それが時にストレスになり、やりきれない気持ちになることもしばしばなのです。
そんなイミで、「コピーライター養成講座」という「場」は、コピーの '解放区'。
そこには、(課題に対して)思うがままにコピーを書くことができ、しかもその技を見せ合える友がいました。
普段降り積もったイライラを、飲み会でぶちまけるもOK。
受講生同士、広告論などをぶつけ合うのも、大いにOK。
今思えば、そこは何とも不思議な空間でした――。
強いて言うなら、「大人なりの、モラトリアムがあったな。」と。
社会的には 'いい年'と言われてもおかしくはない、28、9歳あたり。
やれ適齢期、やれ仕事も任せてもらえるようになるという、ステロタイプなイメージ……。
普通の会社員ならば、それはマッチする考えかもしれません。
しかし、コピーライターという仕事になると……。
その年代で、大きな仕事を任せてもらえるのは、ほんの握りでしょう。
往々にして、制作職は結婚より仕事の方が優先される傾向があります(仕事好きかも!?)。
親や親戚などには 'いい年' と言われようが、実際には、まだ '下積み' なのです。
同じような悩みを抱え、いいイミで<ギラギラした人>が多かった「コピーライター養成講座」。
私にせユーミンは、あの独特な空気が好きでした。
なぜなら、彼らは若さのイミをちゃんとわきまえているから。
若いということは、経験が少ないということ。
だから、まだ知らないことが多い。
けれど、「知らない」ということは、あるイミ武器になります。
がむしゃらに、やんちゃに生きること――。
そうそう。先日発売された『別冊AERA(創刊号)』に「仲畑流万能川柳」の選者・仲畑貴志さんが、このように寄稿されています。
「コピーライターという仕事では、大人になってそぎ落とされるやんちゃさや、無邪気さが、逆に武器になる。」と。また、「ただ無邪気なだけじゃダメで、人の気持ちがよく分かる人ほど、いいコピーを書く。」ともおっしゃっています。
なるほど。
コピーライターは、感受性豊かでないといけないのか――。感受性とは人の心をおもんばかる能力のことだから、そもそも、人に発する言葉にデリケートでないといけないのですね。
仕事でもそこそこの経験があって、ただ若いだけじゃない、28、9のころ。
けれど、コピーライターの(ような)仕事をしている若者にとっては、20代はまだ下積みです。
いろいろなことに無知であるぶん、それを武器に生きたらいいじゃないか。
そんな風に思い立ってこさえたのが、「無知だからがむしゃらなのか若者は」 という句です。
長々と語ってしまいましたが、要は、若いんだからがむしゃらに生きよう!ということです。
2006年。いよいよ28歳という、'いい年' になってしまう私にせユーミン。
これまでの話は、ぜんぶ、自分への自戒の気持ちです。
みなさんは、この句にどう思われましたか?
なにか感想などありましたら、ぜひカキコしてください。