おいしい「食」生活 ver.2

2014〜17年「ラーメンWalker」埼玉県百麺人を担当。アラフォー独男が自腹でラーメンをはじめ"おいしい○○"を紹介する"B級グルメ中心"の日記。

就職戦線異状なし、なんてあり得なかった。

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 2006年、早くもはじめの一ヶ月が過ぎ去ろうとしています。

 そういえば、私。最近「mixi(ミクシィ)」を見る機会が多いのですけれど、大学生の書き込みが盛んですね。

 

 そうか。

 大学3年生は、そろそろ就職活動の時期なんですね。



 ちなみに、私にせユーミン。

 大学時代はずっと、出版社(大手新聞社N出版局&大手出版社S)でアルバイトしていたこともあり、新卒のころ(※卒業後、何度も転職経験あり)は出版社しか興味がありませんでした。



 もちろん、志望職種は「編集」。

 学生によくありがちなことですが、マスコミ=華やかさ→楽しそう! などという短絡的な思考から、そう決めていました。

 しかし、何十社と受けても一向に 二次面接の先に行けないんですね。



 その理由は何なのか??当時の自分では分からなかったことですが、要は、「ライター」的な発言が多かったからだと、今は推察しています。





 当時、私にせユーミンは学生ながら、『日経アドレ』(※↑ 写真を参照)という就職雑誌の学生ライターを務めるほか、大学赤本への寄稿、さらにはCX系朝の情報番組「めざましテレビ」に『松任谷由実選集五七五』というコーナーにしばしば応募。CXのプロデューサーの目に留まり、それ以来、この番組に自作(五七五)をよくオンエアしてもらっていました。



『松任谷由実選集五七五』(1999年3月初版/扶桑社刊)




 ←これは、私にせユーミンが大学三年生のころ。1999年3月に刊行された、『松任谷由実選集五七五』という単行本です(※この本には当時20歳、若かれしころの にせユーミンの句が載っています)。













 というわけで、学生時分ながら業界用語なんぞを連発し、なんだか業界人ぶっていました。

 大学が学生生活のすべて という手の学生ではなく、私にせユーミンは、マスコミバイトとか、ライター活動など、いわゆる“課外活動”を謳歌したタイプでした。



 学生なのにライターだった私。

 いろいろ“課外活動”していたためかネタも豊富で、エントリーシートや筆記試験の作文に書くエピソードにも、枚挙に暇がありませんでした。



 だから、筆記試験までは自信満々でした。

 特にSPI以外の試験、たとえば三題噺やコピーテスト、1000字作文など、どれもその段階で落ちたというマスコミ会社は、ほぼ皆無。書類&筆記試験では、ほぼ無敵でした。



 しかし、面接がどうにもこうにも苦手で、何度やってもガチガチ……。

 ちなみに、就職活動で初めて受けた会社はニッポン放送だったのですが、実に惨憺たる出来でした。

 面接官2:学生2 のグループ面接。しかし、質問は八割方 私に集中しました。

 事前に提出したエントリーシートに、(当時オンエアしていた)ニッポン放送の「松任谷由実のオールナイトニッポン」によく出ていたことや、CXの『松任谷由実選集五七五』本のこと、さらにはマスコミでのアルバイトのことなど、一見しておもしろそうなネタが満載だったからです。



 文章では饒舌なのに反し、しゃべりはボロボロ……。  

 矢継ぎ早に発せられる質問に答えるも、どうも支離滅裂な内容です。しかも、緊張のあまり全身は小刻みにふるえ、そのため語勢なんてあったモンじゃありません。

 

 結果は、もちろん「ご縁がなかったことで……。」という通知に書かれた通り。

 

 これを振り出しに、おおよそ主要なメディア関連企業(※広告会社のみ除く)の面接は制覇しました。

 (筆記試験は通過した)日本経済新聞に、小学館、新潮社、NTTドコモ、TBSをはじめ、出版社に関しては40社以上……。 

 

 しかし、どれも例の通知が届いて THE END.

 

 林真理子さんの処女作、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』の中の件(くだり)、「出版社不採用通知40社コレクション」よろしく、私も大学生のころは 辛酸を舐めまくったものです。

 当時、林真理子さんのその著作の存在は知りませんでした。

 私が同書に出合ったのは、卒業後「コピーライター養成講座」という所に通うようになってからです。



 ところで、そのコピー学校に通うことを決めたのは、ぜんぶ、林先生の影響……。

 というのも、「出版社40社不採用通知コレクション」にしろ、私とあまりにも境遇が似通っていたから。『ルンルン〜』を手にして、その事実に驚愕し、何か運命的なものを感じてしまったためでしょう。



 林先生が出版社をあきらめ、コピーライターを生業に。そして、作家として大成したのを、自分にそっくり当てはめていたのです。

 

 

 そうだ。 コピーライターなら俺にでもなれる、と。

 在学中からライターもしていましたし、とにかく、文章力だけには自信がありました。

 すると、あら不思議!

 心で強く願っていると、気持ちは誰かに伝わるもの。

 

 その後 知人から電話があり、「デザイン会社で、コピーライターをしてみないか。」との打診が。

 かくして、私にせユーミンは 大学卒業ほどなくして、コピーライターの道を進むことになりました。



 途中、いくつかの紆余曲折がありつつも、今でもコピーライターを名乗っています。

 転職というものは慣れなのか、広告業界内なら(さほど条件を問わない限り)ヒョイ! と移ることができます。というか、そうなりました。



 面接ひとつでガチガチになっていた、あのころが懐かしいほどに、今では飄々としています。

 

 こんなことを書いても(心のどこかで)緊張はしていますが、職歴の説明やら退職理由やら、手慣れたもの。書類に目をやらなくとも、空で言えるほどです。

 

 

 実は、私にせユーミン。

 「プランナーにならないか。」と言われ、今まさに、学生さんばりに就職活動の時期なのです。

 三十路も見えてきたし、もうそんなに若くないし……などと さんざん条件を付け、あれこれ高望みしているうちに、もう一月が終わる!



 おまけに、インフルエンザ(A型)にかかり、月曜日からほぼ家にカンヅメ状態……。

 早く治さないと、苗場へユーミン観に行けなくなる!!!



 そんな焦りやいら立ちと、職種転向という ギアチェンジ。

 

 でも、大丈夫??。

 もう平熱だし、もし高熱でも点滴打ってまで苗場には駆けつける。

 職種転向が難しくなったとしても、編集になるとか、ライターを続けるという手もあるのだから。

 

 

 ここで、まとめの一句。

 「あのころの 俺にあげたい この余裕」